紺野和也<前編>
「これが自分の武器、紺野和也がドリブラーになるまで」
──現在のドリブルをどうマスターしてきたのでしょうか?
「主に取り組んでいたのは、コーンドリブルを中心としたトレーニングです。子どもの頃からドリブルが好きだったので、チームの練習以外でもずっとドリブルしていたということが、まず上達の理由として挙げられます。
加えて中学生年代までは、自分の所属するチームがドリブルを志向するクラブで、そこで自ずと技術が身についていき、さらに武南高校でプレーしていたときは全体練習後に1対1の練習をしたことで自分の感覚を掴んでいった、ということが言えると思います」
──足もとを見ないでボールを運んでいけるまでになったのは小学生の段階だったのでしょうか?
「小学生のときはあまり考えず純粋にサッカーを楽しんでいたので、あまり覚えていないです(笑)。
自由にボールを操れるようになるまでの方法は一人ひとりちがうと思いますが、自分の場合は好きなドリブルをずっと続けていたらいつの間にか自分のスタイルができ上がった、という感じでした」
──自分のスタイルができ上がる頃にはボール扱いを苦にしなくなっていたということでしょうか。
「はい。毎日遊ぶときにもずっとサッカーをやっていたので、それによって楽しみながら技術を身につけていきました」
──敏しょう性には個人差がありますが、紺野選手はキレのある動きが特長です。もともとすばやい動きが得意な子ども時代でしたか?
「周りの人よりすばやく動ける素質はあったと思います。それに加えてラダーなどのステップワークのトレーニング、方向転換のトレーニングを高校時代から始め、それも能力の向上に役立っています」
──フィジカル系のトレーニングでより神経を研ぎ澄ませ、すばやくなった感触はありますか?
「そうですね、ラダーのトレーニングを始めて以来、だんだん身体が変わっていったのは実感しています」
──武南高校時代で、より1対1で勝てるようになった、相手のDFを抜きやすくなったということはありますか?
「中学生のときは、センターフォワードだったので試合中に倒されたりすることもたまにありましたが、高校のときサイドハーフのポジションに移ってからは完全にドリブラータイプで、そこから相手を抜けるようになってきました」
──中学まではゴール前に出て点を取ることに特化していたから、ボールを運ぶ段階で突破を狙う感じではなかったのでしょうか?
「そうですね。ドリブルはもちろん好きでしたが相手の最終ラインの裏に抜けてシュートを打つプレーをしていたので、中学まではドリブラーという感じではありませんでした」
──歴代のスーパースターはマラドーナにしてもメッシにしても小柄です。紺野選手には彼らと同様に重心が低いドリブルという特長があると思いますが、小柄なドリブラーとしての強みはいつ頃発見しましたか。
「高校に入った頃には、もしかして自分にはサッカーをするうえで人よりも優れた部分があると気づきはじめ、大学に入るとその感覚がより顕著になっていきました。
大学の試合では相対するディフェンスの選手がかなり大きくなるので、そういう相手に対して懐(ふところ)に入っていけるな、潜っていけるな、という感覚がはっきり出てきました」
──たとえば香川真司選手もドイツのクラブに移籍した際、相対するディフェンダーが大きくなったことですり抜ける特長が際立ちましたが、似たようなところがありますね。
「ユニバーシアードなどで全日本大学選抜の一員として外国のチームと試合をした経験があり(第30回ユニバーシアードではアルゼンチン、ロシア、韓国、ブラジル戦に出場)、プロとちがうレベルの相手ではありますが、自分としては外国籍選手のほうがやりやすいと感じました。
海外のプレーヤーはボール保持者に対して突っ込んでくるプレースタイル、かつ背の高い選手が多く、小回りがきく自分のプレースタイルが活きるなと思いました」
──海外の代表相手にも通用するということで、プロデビューの時点で突破には既に自信があったのでは。
「ドリブルをはじめとするプレーを期待されて東京に獲得していただけたと思いますし、自分としても自信を持って試合に臨めました。
実際、少ない出場時間でしたが、ACLのグループステージでパース・グローリー(オーストラリア)と対戦したとき(2月18日)の感覚はすごくよかった。日本人選手よりも外国籍選手のほうがやりやすいですね、自分の感覚的には」
──ドリブルで切れ込んでいくプレーが印象的です。
「いままでの経験が自信となり、それによって強気で仕掛けていくことができているのだと思います」
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