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OBインタビュー

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〖完全無料公開〗 池上礼一「当時はまさか自分が東京に加入できるとは思っていなかった」


第4回OBインタビューは、U-18コーチの池上礼一。現役時代のお話はもちろんのこと、当時なかなか聞くことのできなかったサクセスストーリーや指導者としての在り方など熱く語っていただきました。全3回に分けてお届けいたします。本日は、前編をお届けします!



◆仙台大学を経て2006年にFC東京に加入されました。選手時代の思い出は?

大学4年時の春に『JFA・Jリーグ特別指定選手』として登録されて、約半年間にわたって練習やサテライトリーグに参加させてもらったんです。ただ、当時はまさか自分が東京に加入できるとは思っていませんでした。ユニバーシアード日本代表には選ばれていたのですが、徳永悠平や赤嶺真吾をはじめ、錚々たるメンバーがいました。そこに何とかしがみついて頑張って、プロになれればと考えていました。

当初は不安ばかりで、自信もなかったのを思い出します。
それでも悠平や真吾、U-18出身では馬場憂太や尾亦弘友希が同い年で。同年代の彼らに助けられ、また日々グランドで競い合えたことが、僕にとっては一番の思い出です。


◆チームメイトとの関わりが一番の思い出なんですね。日々のグランドから変化が生まれたと。

そうです。長澤徹コーチからはよく「お客さんになるなよ」と言われていました。頭の中では「試合に出たい」「生き残られなければ」とは思っていたのですが、まずプロとしてあるべき感覚を自分のベースにする、というところで苦労してたように思います。
甘くない世界だとはわかっていましたが、プレースピードも激しさも急に上がり、ケガをすることも多くなりました。

その中でチームメイトの仲間や先輩をそばで見ていて、「プロはここまでやらなきゃいけない」「ここまでやっていても勝てないのか」……と感じることがありました。
先輩には、ナオさん(石川直宏)やフミさん(三浦文丈)、シオさん(塩田仁史)たちがいて、何かにつけて声を掛けてもらい、アドバイスを受けていました。ひとつ上には今野泰幸さん、栗澤僚一さんがいて、ボランチとして憧れる存在でした。その人たちから盗みたい、いつかは追い抜きたいという気持ちもあったのですが……。
代表に行って帰ってきたばかりの土肥(洋一)さんに、居残り練習をお願いすれば、快く遅くまで付き合ってくれたり、下の世代でも、当時、吉本一謙や権田修一が二種登録されていて、いつも練習前後にひとりで筋トレをしていたり。
そういう裏付けがあるからこそ、堂々とグランドに立てるのだと思いました。そうやって仲間と競い合うことでサッカー選手としての考え方、プロとしてのベースを教えてもらったように思います。



◆一番、思い出に残っている試合は?

プロ2年目の終盤、初スタメンで出させてもらったG大阪戦(2007年11月18日)です。
この時は「やっと出られた」というよりも、「やるしかない。何が何でも勝つ」という心境でした。相手には遠藤保仁、バレー、マグノアウベス選手たちがいて強烈なメンバーで。戦っている最中はそれを気にすることはなかったのですが、ピンチも結構ありました(苦笑)。結果は1対1の引き分けでした。


◆その試合がターニングポイントに?

その試合に出場して、翌シーズンはプロ3年目を迎え、ここでやらなきゃもうプロとしてはダメだと思っていました。チームも城福浩監督になって、毎日の練習が新鮮で、自分が上達していくのもわかっていたんです。ただ、ナビスコ杯でチャンスをもらったけれど力を発揮できず、リーグ戦に絡んでいくことはできませんでした。
ここで続けることの意味や意義も感じていましたが、ピッチで貢献できないことがはがゆかった。試合に出て貢献したい、環境を変えてもプロとして続けていきたいという思いが強くなり、クラブに「外で勝負したい」とお願いしたんです。

◆そこでJ2草津(現群馬)へ期限付き移籍。その後はJFL刈谷、J2岐阜にも。特に岐阜では選手として一番充実していたのでは?

続きは、明日公開の中編に続きます...。・・・・・・
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