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選手たちを支える言葉

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高萩洋次郎「芸は身を助く」


高萩洋次郎
「芸は身を助く」By Soul Camp『BIG MAMA』


日常のふとした瞬間に、後の人生訓となるようなヒントは転がっているのかもしれない。2005年3月25日、沖縄出身の音楽ユニット・Soul Campは1stシングル「BIG MAMA」でメジャーデビューを飾った。

「いい歌詞だな」

高萩洋次郎が、その曲を耳にしたのはプロとしてキャリアを踏み出して間もないころだった。詳しいことは「忘れちゃいました(苦笑)」と、うろ覚え。ただし、その歌詞の一節が、胸に刺さって今も離れない。

2003年4月5日、高萩はサンフレッチェ広島で2種登録選手としてJ2湘南ベルマーレ戦に初出場する。16歳8カ月と3日でのデビューは当時の記録を塗り替え、Jリーグ最年少出場となった。同年11月にはトップ昇格を果たし、高校生Jリーガーとして大きな話題を呼んだ。

しかし、高萩のプレーを目にする機会は徐々に少なくなっていく。この曲と出会ったのは、そんなまばゆい光を再び放つ前だった。燻る才能は「プロになった二十歳前後に聴いた曲だった。歌詞に『芸は身を助く』という言葉があっていいなって思った」という。多感な十代は、惹かれた曲の欠片を自分なりにかみ砕いてみた。

「芸は、自分にとってはサッカーだと思った。もっと言うと、その中で自分の得意なプレーなのかなって。一芸と言われるようなことがあると、そこで勝負できると思った」

さらに、「オレなら……」と思索にふけり、答えに行き着く。

「攻撃や、パスのところが当てはまるのかもしれない。それを磨かないといけないと思った。課題というよりも、自分の武器や長所をどんどん伸ばしていきたい。その言葉の通り、それが自分の助けになると感じた。受け取り方とか、言葉の意味がどこまで合っているかは分からない。でも、自分はそう受け取った」

その後、高萩は06年の愛媛FCへの期限付き移籍を契機に才能を花開かせる。そして、広島不動のトップ下としてJ1制覇に貢献するなど、数々の栄光を勝ち獲っていく。そこにはピッチに風が吹き抜けるパスと、機知に富んだプレーの数々が欠かせなかった。

ちなみに、高萩に響いた歌詞は、母親への思いを綴った詩で、こう続く。

『口癖のようにずっと言っていた。
芸は身を助くってな。
その言葉を胸に歩く。
あなたの言葉がオレに根づく。
新たな旅路を歩く。
あなたの大きさに今気づく……』

そのリリックは今でも彼に根づき、プロを生き抜いた証にさえなった。まさに、「芸は身を助く」を地で行く。それは歩んできたキャリアが物語る。言葉の海の中でたまたま出会い、後の人生訓になったという話だ。「35歳になりました」という高萩は、人生の半分以上をプロサッカー選手として生きてきた。まだまだ、こだわり抜くつもりだ。

「パスは自分の武器なので、そこでミスはできない。いつも自分にプレッシャーを掛けている。フィジカルも飛び抜けているわけでも、スピードが人より優れているわけではない。パスで勝負してきた。まだまだですけど、意識してやってきて良かったと思う」

青赤の8番が出したパスに、味スタの観客が感嘆の声を上げる瞬間がたまらない。アレを記者席でしばらく聞いていないのは、なんとも寂しい限りだ。そんな話題を向けると、高萩は「映像がSNSで拡散されることも多いじゃないですか? そういうところに載ることは評価や、判断材料にもなっているのかなって。意識はしていないけれど、そういう話題になるようなプレーをしたいですね」と、口にした。

その話を聞いて、クラブの公式twitterに上がった練習動画を思いだした。僕のなんとも情けないほどの語彙力で、「そういえば、洋次郎のあのヒールはやばかった」と聞くと、いつも冷静な高萩は「やばかったですか? とっさですけどね。ありがとうございます」という答えと一緒に、とびきりの笑顔を返してきた。その芸一つひとつが、生み落とされた彼の作品そのものなのだろう。貫き通した意地。高萩洋次郎のパスには、いつだって意思がある。

 [文:馬場康平]



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