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選手たちを支える言葉

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内田宅哉「どうせやるなら」


内田宅哉
「どうせやるなら」
By奧原崇(現・アカデミーマネジメント部長)


内田宅哉には、魔法の言葉がある。そのマジックワードから何度も勇気をもらい、自らを奮い立たせてきた。折れそうな心も、そっと支えてくれる。負傷離脱中の今、胸の引き出しの奥で静かに響く。「どうせやるなら」、と。

心を軽くしてくれる、この便利な言葉は、初めはため息を引っ込めるためのモノだった。FC東京U-15深川時代、辛くて嫌だった走りのトレーニング。当時チームを率いていた奧原崇は、その練習前に憂鬱そうな選手たちへ向け、諭すようにこう言った。

「走りの練習はキツいよね。でも、どうせ走らないといけないのなら楽しく行こうよ」

そのフレーズには、“ケセラセラ”にも似た軽やかさがあった。人生は自分次第でなんとでもなる。ことあるごとに、奧原はそう言い続けてきた。リフレインされる「どうせやるなら」が、いつの間にか内田の胸に残り、離れなくなった。

ただし、「そのときはそこまで深く考えなかったんですけどね」と言う。忘れかけていたとき、再びそのフレーズが胸の奥から響いてきて救われた。それは、プロの門戸をたたいた直後の話だった。

「でも、プロになって試合に出られないときや、紅白戦でさえメンバーから外れたりしたときに、どういうメンタリティでやるかを考えさせられた。そんなとき、『どうせ練習するなら自分のためにやったほうがいい』『どうせやるならうまくなったほうがいい』と考えるようになった」

隣で必死になって紅白戦でアピールする仲間たち。それを尻目に、メンバー外となった選手たちとボールを蹴った。「こんな練習をしても意味がない」と、さじを投げるのは簡単だった。それでも踏みとどまり、自らに言い聞かせるように「まずはこの中で一番になろう」と、ねじを巻き直した。

奧原は現在もアカデミーマネジメント部長としてクラブの未来をつくる仕事に汗を流す。そんな恩師とは、顔を合わせれば言葉を交わす関係が続いている。

「一番キツかった時期に、コーチや監督として指導していただいた。どういう存在かを一言で言い表すのは難しいけれど、今までの監督の中で一番接しやすいし、元気をもらえる。今でも、そういう存在ですね」

その内田は今、左肩関節脱臼のけがと戦い、苦しいリハビリの日々を送っている。そして、胸の中で響くのは、やっぱり「どうせやるなら」、だ。

「『どうせやるなら』は、今の自分を奮い立たせるときに言い聞かせる言葉になった。ケガをしたときは精神的にも追い込まれた。今思えば、どうせすぐには復帰できないし、どうせリハビリをするなら強くなって帰ろう。今は、そういう言葉に変換してリハビリをやっている」

そう考えれば、苦しさも半減する。だから、少し先の未来の自分に期待をする。

「また強くなって……もっともっと強くなって帰ってきたい」

その宣誓を実現するため、内田は目を背けず、“今”と向き合っている。

[文:馬場康平]



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